Since 2007/03/08
12日の夜に苫小牧港を発ち、仙台港に着いたのは翌日のお昼でした。
仙台港が近づくにつれて、小さな浮遊物が暗く濁った海に行き場を失った迷い子のように漂っています。
津波と地震の爪痕が深い仙台港の光景に息をのみ、高速で気仙沼迄行く予定を変更して、海岸線を車で走りました。
気仙沼市本吉は右に海、左に山という起伏に富んだ地形です。坂道を上ると人の気配のある集落が現われホッとする間もなく、下り道の先には荒廃した集落が現われる―― 津波の牙のこわさを見せつけられました。
プレハブ建ての道委員会救援ボランティアセンターに着いたのは午後1時。町中の腐臭は覚悟していたので悩むほどでは有りませんでした。
震災後早々、食堂を再開した民商婦人部長さんの食堂でお昼をいただきました。
食後すぐ、作業に取りかかりました。
4日間で、私は支援物資の整理、排水溝など外の泥だしや建物の中の泥だし、訪問活動と、いろいろな角度から体験をさせてもらいました。
誰もが希望を見いだそうとしています。どこで、どう生きていくか迷い悩んでいます。政府の無策が、前に進もうとしている国民の足に、かせをはめているのをこの目で確かめました。
何よりも、国からの押付でなく「被災者の声を」「現場の願いを」くみ取った復興を! 支援物資の提供や救援募金に協力してくれた皆さん、本当にありがとうございました。
(6月22日記)
「清田区新聞」11年06月26日付より