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ずっと住み続けたい清田区に全力疾走! 日本共産党清田区市政相談室長・吉岡ひろ子です

エッセイ「お元気ですか」

『カメジロー』

総選挙の後、1960年代、アメリカで宇宙船打ち上げに貢献した黒人女性の伝記を元にした映画『ドリーム』と3本の邦画、計4本の映画を観ました。その中のひとつ『カメジロー』は選挙前から楽しみにしていました。

1952年4月1日、沖縄を占領するアメリカ軍は、日本への復帰運動を押さえるためにアメリカが指名した行政官による「琉球政府」をつくります。創立式典で代表の議員が宣誓文を読み上げたあと立法院議員(現在の県議会議員)の名を読みあげ、それぞれが立って脱帽するのですが、ただ1人だけ立ち上がらない男がいました。呼ばれても返事もせず座ったまま。米将軍は真っ赤に怒り、日本人行政官は青ざめたといいます。

その人、瀬長亀次郎さんは、沖縄の人たちから「カメジローさん」と慕われ、1972年の返還後初の選挙で、のちに日本共産党に合流した沖縄人民党から衆議院議員に当選。その後、日本共産党の副委員長を務めました。

1995年、少女暴行事件に対する怒りの沖縄集会に8万人が参加し、総選挙や知事選挙ではオール沖縄で「米軍基地ノー」を国に突きつけている沖縄県民のルーツにカメジローの存在があったのです。

カメジローの演説の締めくくりは「この瀬長ひとりが叫んだならば、50メートル先まで聞こえます。ここに集まった人々が声をそろえて叫んだならば、全那覇市民にまで聞こえます。沖縄70万県民が声をそろえて叫んだならば、太平洋の荒波を超えてワシントン政府を動かすことができるのです」

今も県民の心を照らしていました。

「清田区新聞」17年11月12日付より

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